歴史は時代が移り変わる時点で大きな犠牲を出すものである。その移り変わりの時点が明治維新であったり、戦争であったり様々だ。そこで生きた人々は必至で生きて歴史の裏側を走り抜けていたのだろう。何故、私がこのような事を書いているかというと最近人気のゲーム「薄桜鬼」で新撰組の話が描かれていたからである。

私もこのゲームをプレイしてみたが、一番に疑問に思ったのが、沖田総司の人格である。その時代に生きた彼はどうだったのだろうと思った。私が沖田総司について知っていることは結核で他界したという事だけだった。あとは、剣の腕は天才的だったという事だけだった。しかし、沖田総司の事を知るために本を読んでみた。沖田総司はやはり剣の腕は天才的であり、いつもニコニコしていて冗談を言っていたらしい。

お酒は飲んだみたいだが女遊びはせず近所の子供達の子守や子供たちと鬼ごっこをやったりして遊んでいたみたいだった。しかし、普段はニコニコしている性格だったみたいだが、竹刀や刀を握ると殺気立ち相手をトコトン突き倒すという。沖田総司には温厚な面と殺気だった面が存在するようである。私が一度テレビで見た新撰組の話で見た沖田総司は優等生で真面目で温厚なイメージがすごくあった。

だからこそ残虐なイメージがあったとはとても思えなかった。彼等、新撰組は歴史の上で時代の移り代わりによる犠牲者だったと言える。しかし、私は、沖田総司は一体いつ亡くなったかも知らなかった。まぁ、そこまで授業で教えるわけもないので自分で調べるしかないのだが、沖田総司は25歳の若さで亡くなったという事だった。哀しい事に誰にも看取られることもなく1人で亡くなったらしい。

総司は武士であったため戦って死にたいと思っていたのだろうか。それとも、病魔に侵されている事は知っていたようだから、いつかは刀を持てなくなる日が来ると予感していたのかもしれない。沖田総司の最後には「猫がいる」とうわ言のように言い亡くなったらしい。ここで書いたのは沖田総司の話だったが土方、近藤も無念のうちだっただろう。しかし、歴史というものは残酷で悲しい。刻々と時間を刻み変えていってしまう。大きな犠牲と共に。